真空管からトランジスターに移るということが非常に技術革新でございました。その技術革新で私が学んだことは、真空管と半導体というものは質的に違うものです。真空管はいくら研究しても改良してもトランジスターは生まれてこない。そのうち我々はともすれば安定した社会では、将来は現在の延長線上にあると思いがちである。しかし、変革の時代には今までにない革新的な発想から作られるものがある。作る原動力は創造力だという わけです。我々の知性というものの能力は大きく二つに分けられる。一つは道理を弁え物事を分別する能力、英語で言いますとジュディシアルマインドと言った方が正確だと思いますが、それからもう一つは物を創造するクリエイティブマインドです。ジュディシアルマインドというのは物事を解析、理解し、選択し、公平に判断する能力です。例えば、入学試験に合格するということがジュディシアルマインドがあれば十分なのです。創造力というのは先見者の何か新しいアイディアを能力する。しかしこの創造力こそ進歩の原動力だ。創造力というものは個性的で未来へのチャレンジだと。分別力というものは没個性的である。現在ある日本の学校教育が主としてこの分別力を養成することに努めて必ずしも創造力に努めていない。
私は学長になりました。研究者から学長になりまして、学長というのは創造力だけでは駄目で、ジュディシアルマインドを必要とする職業でございます。私がこれだけジュディシアルマインドをつけたとしますと、同じ分だけ私の創造力がなくなったということに気がつきまして、だからジュディシアルマインド プラス創造力はコンスタントかも知れない。余りにもジュディシアルマインドをつけすぎますと創造力を育てるところがなくなるのではないかと思うようになった次第でございます。
トンネルダイオードというものを作りまして、これは一寸新しいものでございまして量子力学、先程申しました21世紀を特徴づけるのが量子力学でございまして、量子力学的な半導体ディバイスというものを、これは江崎トンネルダイオードというものをファーストコントミレクトロンディバイスを論文に発表したのが丁度1958年でございます。私がこれを作ったのが東京通信工業と書いてございます。これはソニーの前身で、私がソニーに入ったのが56年で、よく私が話をするときには私がソニーという小さな会社に入ったとこういうと皆さん笑うんですが、実はこの時ソニーは500人ぐらいの町工場でした。1931年でございました。小さな会社に入ると出世が非常に早く、チーフ・サイエンティストと呼ばれましたが、サイエンティストはほとんどいない会社でございました。58年にソニーという名前に変わりました。実は私が初めて外国に参りましたのは、国際会議がブラッセルでございまして、○○○フィジィックスという国際会議がございまして、その当時はジェット機がございませんので、南回りと言いますか、インドを経由してヨーロッパへ参った訳です。ニューデリーで一晩泊まって、ソニーが開発したポータブルのテープレコーダーを持っておりまして、インドのカスタムでそれは何だということで、インドの税関はそういう電子機器については非常に煩いところでございまして、何だ何だというので、テープレコーダーでこうするものだということを話しました。税関の官吏も大変興味をもって来る。そのうちに税関のヘッドと思われる人間がそれを売ってくれないかと言うのです。馬鹿なことを言ってはいけない。これはディベロプメントなもので、自分がヨーロッパへ持っていって自分も使うのだ。そうしているうちに賢こそうな税関の一人が、それは英語が録音できるかという質問をしてくる。はぁ、これはいいことを聞いてくれる。今の開発の精神でディベロプメントなものだと。ジャパニーズだけしか今はディベロプしないと言うと、皆さっと税関を通ったという思い出がございました。
ショックレー先生が47年にトランジスターを発明したと申しました。これが58年で、56年にノーベル賞を3人の物理学者がもらった訳です。ショックレーとバーディーンとブラッデン。その人たちのことを人間は変わるものだということを示すような写真ですが、私が33歳の時、ショックレー先生は48歳で、ショックレー先生に非常に褒められて、私が非常に画期的なものを話すのだと基調講演の中で言ってくれたものですから、私のところには大変沢山の人が集まってきて、多分私がだれにも分からないような英語を使ったに違いありませんけれども、皆さんよけいに聞き耳をたててくれたという思い出がございます。
これが発売されたところはヨーロッパから米国にまいりまして、ベルテルフォン研究所、ベルというのはご存じのように電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルです。ベルさんはオーディオロジストと言いまして発声を、耳の聞こえないような人に、ヘレン・ケラー女史などに教えたという出来事もございます。ベルの研究所に行きますと彼の胸像がございまして、その下に彼の書いてあることがあります。 Leaves the beaten track occasionally and dive into the woods. You be thought and fined something have never seen before. つまり時には踏み荒らされた道から離れ森の中へ入ってみなさい。そこではきっとあなたが見たこともない何か新しいものが見出せる。簡単な英語で面白い、感銘を与えるような言葉だった訳です。どうも beaten track ばかりを歩いていると駄目だと。私もこれを見て自分も japanese beaten track を離れて米国の wood の中に入ってみようと決心して、米国に出かけた次第でございます。57年にトンネルダイオードというものを作りまして、69年にスーパーラティス先程申しましたように今年スーパーラティスで日本国際賞をいただいた訳でございますが、そのスーパーラティスとはいったい何かということを、錬金術というものがございますが、マジックやウィッチクラフトを使ってデースベタルをノーブルメタルに変えるというのがアルケミーです。私が提案したモダンアルケミーというのは量子力学と先端技術を使ってコモンの半導体を超半導体に変えるというものです。モダンアルケミーの特徴は、この錬金術で生まれた人国質、自然界に存在しない素晴らしい特性を持っていると。昔のアルケミーというのは、せいぜい苦労してもそんなことはできないのですが、ゴールドができるわけです。ゴールドというものは既にある物質ですが、現代の錬金術は我々の今まで自然界にないものを作るのだということです。
もとに戻りまして、研究のことを申し上げますと、だいたい世界の研究費というものは米国の使っている研究費が 160 billion dollarですが、現在200 billion dollar と考えて良いと思いますが、米国を除外したG7の研究費とはほぼ同じぐらいだということが言える訳です。米国を除外したうちの日本はそのだいたい40%ぐらいお金を使っている。もちろん米国に次いで沢山お金を使っている。 今晩物理学賞と化学賞が発表されるのですが、どうしてノーベル賞が少ないかということがよく論議になるわけですが、米国はだいたい200人、昨日ノーベル医学賞が発表されて米国が3人、また米国が3人増やしましたが、日本は5人しかいないということです。ノーベル賞受賞者というのはだいたい500人ぐらいです。多分半分くらいはもう亡くなっておられる方だと思いますが、全世界の研究都市というのは 500 billion dollar ぐらいですが、そのうち米国は 200 billion dollar、40%ですから、米国は200人もっているということでそれを平均するわけです。日本は世界全体の16%ぐらいの研究費を出しているにもかかわらず、1%しかノーベル賞がないということが一寸問題です。だから基本的に日本の研究は基礎研究に関する限りであるし、水準が低いということがこれで言える。どういうふうにそれを上げるべきかということが大きな課題だと思う。ハイテック市場のシェアを眺めてみますと、1980年~94年まで、我が国は若干衰退傾向にあるということです。日本のピークはだいたい91年で、だいたい米国と同じですが、それ以外は我が国は少なくなっている。一つ注目すべきは、中国がその間にかなり上昇しているということを申し上げておきたい。日本の企業の特徴のようなものを一寸申しますが、世界の研究開発をやっている大企業36あるのですが、いろいろな大きな企業の土俵で研究開発性が使われているかということです。これは Whatbiggish spenders in research 研究開発にどれほど使っているかということです。ゼネラルモータースは大きな企業ですからいくら使っているかということで、それが全売上げの何%になっているかと。だいたい自動車会社というのは4% 5%、トヨタは3.7%ですが、それからその次が電気会社です。CBS、IBM。ずっと見ますと我が国も日立松下等9ぐらい36のうち入っていてまあまあそこそこ良いのですが、この三角をつけたのが製薬会社なのです。日本の製薬会社はここに何も出ていない。日本の最大の製薬会社は武田だと思いますが、武田はトップ20なのですが。日本はエレクトロニクスは非常に強いけれども、ライフサイエンスに関係する製薬会社は少ないというわけです。最近の米国の傾向としましては、バイオテックの企業が急速に増加しています。1970年には200ぐらいあったのが今は1200ぐらいになっている。つまりバイオというものが発展の中心になっているということです。