我が国はセカンドランナーとしての習性を持っている。科学技術に接していたのは明治のはじめだという後進性があるのですが。サッカーの試合の時私はヨーロッパにおりましてフランスのワールドカップの時でいろいろな新聞を見ますと、日本は非常にチームワークが素晴らしい。点をあげる以外は何でも出来るということが書いてある。何故点が入らないかというと、個人技、シュートを打つ人がいないというのです。そこが正にセカンドランナーとしての習性で、協調を重視し、自己犠牲のもとに組織プレーを重視するわけです。組織プレーだけだったら点は入らないわけです。ファーストランナーというのはやはりクリエイティブフェイレを恐れずリスクをとって未知への挑戦だというのです。セカンドランナーのメンタリティーから脱しなくてはいけない。クリエイティブフェイレ、科学者はクリエイティブフェイレを試行錯誤しなくてはいけないのですが、日本のサイエンスというのはサプライズというものが乏しいということです。どのようにして指針を求めるかということも重要だと思う。日本では温故知新という言葉が日本人が大変好きな言葉です。温故知新を敢えて訳しますと visit past fined guide つまりヒストリーと対面しながらいろいろ決めていこうと。もう一つの決め方 visit future fined guide フューチャーというものはドキュメントされていませんから、フューチャーをチャレンジするにはそこにクリエイティビティーが必要だと。サイエンティストとか新しいベンチャーをやる人たちには、少なくとも誰よりも早く将来を訪れて、ガイドを求めよということが必要だということを申し上げたいと思います。こういうものを出して反対する人たちは、反復というものはどこにも見られるのだと、旧訳聖書の伝統として昔あったものはこれからもあり、昔起こったことはこれからも起こると。陽の下に新しいものは一つもない。これは温故知新的な思想、西欧にもある訳ですが、新しさを軽視するという風潮が多いということを申し上げておきたいと思います。
科学技術が発展するためには本質を理解する人かどうか、日本の行政官が勝手に日本の科学技術の将来を決めてしまうと困るということで、 birds eye view を持って計画をたて実行する。ここには cats eye と言いましたけれども、 cats eye というのは宝石で非常に高価な宝石なのですが、猫というのは地べたを走り回っているわけですが、とっても全貌は見られない。日本の役人も大変鋭い目をしています。 lynx というのは大山猫、役人は目が鋭いのですが、自分たちの領域だけしか考えていない。それでは困る。
それから大分時間がまいりましたから、これで最後にしたいと思いますが、アインシュタインは好きなことを言っているわけですね。 If you want no scientist operait 科学者というものは仕事振りを知るには言っていることに耳を傾けても仕方がない。何をやっているかを見なさいというわけです。必ずしも表裏がある、二つの面がある。科学というものは論理的で客観的で理性的で冷徹で厳密なロース的な面、教科書などに表れる面。しかしこ れは言わば仕上げられた結果で、学者達が講演会などで胸をはって発表するところで、アインシュタインは一寸極端で、そんなもの聞く必要がないと言っている。もう一つの面というのは、新しい世紀が生まれる総合のプロス。言わば主観的、個性的、総合性豊かでファシスト的側面。科学者が勿論鋭い個性のもとに研究を進めるが、時には直感と霊感を頼りに暗中模索、悪戦苦闘、試行錯誤を繰り返す。そしてたまにやってくる幸運に恵まれ、山の中で光彩を放つような解答を見出して歓喜する。アインシュタインはこれこそサイエンスの真髄で、科学者が仕事をするこの面をよく見なさい。ロゴス的な面は、デイサイエンスという訳です。片一方の創造のプロセスはナイトサイエンス。両方必要なのですが、これからの Soft busines park にはナイトサイエンスが必要だと。創造するのはナイトだということを申し上げて私の話を終りたいと思います。ご静聴ありがとうございました。